赤ちゃんは生まれ、殺される
3.流産を強制され、幼児は殺される
元女性囚人は、生まれたばかりの赤ん坊が殺されるのを2度目撃したと証言しました。彼女の陳述は、その行為の異常な残虐さゆえに、調査員のなかでも特に論争にあがるものでした。元北朝鮮警官を含む、数人のソウル在住の北朝鮮難民は、たとえそれが北朝鮮政府によってなされたことであっても、囚人の赤ん坊がそんなふうに殺されることを信じようとはしませんでした。3年間一地方刑務所で看守をしていたこの元警察官は、囚人は妊娠すると自宅で出産できるように一時的に帰省させられ、産後体調が回復すると、刑期を終えるため再度刑務所に戻ることになっていると主張しました。
けれども、私たちは、1970年代に韓国が大量拷問を実行したとき、多くの韓国人がそれを信じなかったことに注目したいと思います。元女性囚人の証言に異論を唱えるどの北朝鮮難民も、管理所や政治犯教化所にいたことはありません。私たちはこの特別な事件をはっきりさせるため、管理所内での状況(残忍行為の行動様式・秘密厳守・乏しい医療及び健康状態等)を知ることで、少なくとも看守が当局の都合のために赤ん坊を殺そうとすることに関わっていることを想像できるようになると思います。
この章では、彼女の陳述と相応する2人の元警備員と管理所囚人の証言も含まれています。しかしながら、元警備員は彼自身の赤ん坊殺しについては証言していません。彼は同僚や管理所でのうわさ話をもとに一般的なことを語っています。
赤ちゃんは生まれ、殺される
政治犯教化所の元女性収容者 李順玉氏の証言
人は、c-セクションを考案
私が1989年に奇跡的にパラチフスから回復したとき、私は報告のため医務室に送られました。医務室についたとき、6人の妊婦が出産を控えていました。私は、監視員が来るのを待ち、接収されるのを待つ様に言われました。私がそこにいたとき、3人の妊婦が毛布もなしで、セメントの床に赤ちゃんを産み落としました。教化所の医者が自分のブーツでその妊婦たちを蹴るのを見て、身の毛のよだつ思いをしました。赤ちゃんが産まれたとき、その医者はこう叫んだのです。「はやくそいつを殺せ。どうやって教化所にいる犯罪者が赤ん坊を世話できるんだ?殺せ。」その女性たちは手で顔を覆い、むせび泣きました。たとえその出産が注射によって無理に促されたものであっても、赤ちゃんは産まれたときには、� ��だ生きています。囚人看護婦は、震える手で赤ちゃんの首を絞めました。赤ちゃんは殺されると、汚れた布で包まれて、バケツの中に入れられ、裏口から外へと持ち運ばれました。その情景は私にとって、あまりにもショックだったため、今でもその母親たちがむせび泣いている悪夢を見ます。私は、教化所にいる間に、2度赤ちゃんが殺されるところを見ました。
2、3日後に、私が日課のために医務室に行くと、金心玉(キム シンオク) ど美玉(チョ ミオク)(医務室で働いている囚人看護婦)がすすり泣いていました。そのうちのひとりが、「主任、私たちは獣よりもひどい悪魔です。あいつらは、死んだ赤ん坊を新薬を作るための実験に使うと言っています。」私は心配になって、彼女の口を私の指で押さえて、言いました。「私は何も聞かなかったよ。」私は、急いでそこから立ち去りました。
1992年にパラチフスが治ったときに、私は再度同じ医務室へ送られました。そのときには、10人ほどの妊婦がその医務室にいました。彼女たちはみな、注射により早産を誘発させられていて、何時間も痛みに苦しんでいました。ひとりの女性は、ひどい栄養失調で衰弱していたので、出産に耐えられず、途中で息絶えました。囚人看護婦が、死産のときはもっと苦しむんだと、私に耳打ちをしました。
赤ん坊を持っていることの別の方法は何ですか?
別の妊婦たちは、痛みにより顔面蒼白で、顔には汗がいっぱいでした。もし彼女たちがうめき声をあげれば、医者が無情に彼女たちの腹部を蹴りあげ、怒鳴ります。「黙れ!痛いふりなんかするな!」私は、医者から監視員への引き継ぎを外の廊下で待っていました。私は金ビュンオク(32歳)の泣き声を聞いたので、半分空いたドアから部屋の中を覗いてみました。彼女は出産直後で、泣きながら、「どうか赤ちゃんを救って下さい。義母が赤ちゃんを楽しみにしているんです。どうかお願いですから、赤ちゃんを救って下さい。」彼女は悲しみのあまり、気が狂っていました。他の妊婦たちは押し黙ったままで、泣きながら大声で救いを乞うのは、彼女たったひとりでした。医者は驚いて一瞬たじろぎましたが、す� ��に、自分自身にたち戻り怒鳴りました。「おまえは死にたいのか!えぇ?赤ん坊を殺せ!」医者はその産婦を蹴り上げました。
それから、医務長が入って来て言いました。「誰がそんなにわめいているんだ?そいつを独房に入れろ!」医務長は彼女を何度かひどく蹴り、彼女が立てなくなったため、独房へ引きずって行きました。これは、決して忘れられない情景です。彼女は独房から解放された後、まもなく亡くなりました。
幼児は殺され、犬のえさにされる
管理所の元警備員 安明哲氏による報告
<思想学習会で警備員の常識として、警告のように繰り返される話>
誰が児童虐待に影響を与え、それがどのように広まっていない
以下のできごとは、私が11号管理所に着いた1ヶ月後の、1987年に起こったことです。金万承(キム マンスン)上士は私の小隊の副隊長で、第19部隊の主任である崔(チェ)という名の若い女囚人と性的関係を持っていました。金上士はハンサムで心優しく、彼女は上士の子どもを欲しがっていました。彼女が保衛員たちに見つけだされ逮捕されたとき、彼女は、農場に隠れて、まさに出産しようとしていました。彼女は、拷問のなかで赤ちゃんを産みました。保衛員たちは拷問中に、その産まれたばかりの幼児を犬の方へ投げ捨てました。けれども、彼女はどんな拷問にも耐え、父親を明かしませんでした。すると、保衛員たちは、彼女の膣のなかに棒を差し入れ、彼女が自白するまでねじ回しました。金曹長はすぐさま逮捕され、解 雇され、党から追放されました。彼は出身地の鉱山に送られました。
棚卸し事務員である若い女性囚人は、1989年に13号管理所で妊娠して捕まりました。拷問の末、彼女は、上級保衛員の名前を自白しました。
捜査員らは、怒り狂い、彼女の腹部を開き、赤ん坊を取り出し、踏みつけて殺しました。そして、捜査員たちは、電極を彼女の膣のなかに入れ、感電死させました。
捜査員らは、その保衛員が他の囚人たちとも性的関係をもち、個人的に彼女たちを助けていることを知りました。保衛員は、自分の事務所で、ピストル自殺しました。この事件は、知っていたにもかかわらず、事実を覆い隠そうとしたすべての保衛員の恥辱であると考えられています。
妊娠した女性囚人は流産を強いられる
管理所の元男性収容者 安赫氏による証言
家族収容所の多くの女性囚人たちは、ここにまだ小さな子どもの頃に連れられてきました。彼らは外の世界のことはほとんど知らずに成長しました。彼女たちは、奇妙な性的習性をもち、男性のために衣服を身に着けないことに慣れています。もし、独身の男性が彼らと性行為を持てば、その囚人の刑期は伸ばされます。しかし、多くの独身囚人たちは、誘惑に勝てません。なぜなら、彼女たちとうまくやっている間は、女性囚人の多くは厨房か食料加工場で働いているため、食べ物が余計にもらえるチャンスを得ることになるから
です。深刻な飢えは、食べ物を手に入れるためなら、人にどんな不利なことをも受け入れさせます。
女性囚人たちは、管理所の外に家を持つことができないため、管理所の中で子どもを持とうとします。女性囚人のうち幾人かは、重労働や独房の罰があるにもかかわらす、妊娠しようと企てます。妊娠が発覚すれば、保衛員が流産を誘発させるために、棒で女性の腹部を突き刺します。もしくは、保衛員たちは、女性を事務所に連れて行き、彼女を壁にたたきつけ、流産するまで腹部を棒で突きます。妊娠6、7ヶ月になっている場合は、どこかへ連れていかれ、その後、二度とその女性を見かけることはありません。
妊婦は流産するためにひどい処遇を受ける
管理所の元警備員 崔東哲氏の証言
管理所では反動分子の数をコントロールするために、出産は無条件に禁じられています。ほとんどの場合は、夫は妻と離されるため、囚人が妊娠することはありませんが、それにもかかわらず、妊娠するケースがあるのは、女性囚人と保衛員又は警備員の間で、レイプがあったり、女性囚人が気に入らようとして同意する性的接触によるものです。
女性囚人が妊娠しているのが発覚すると、その女性は蹴られ、流産させるために重労働へと送還されます。妊娠している女性への繰り返されるひどい処遇によっても流産しない場合は、その女性は密かに処刑されます。すべての女性囚人はこの処刑について気付いていて、妊娠するとなんとかして流産しようと努力します。
妊娠させた保衛員や警備員については、大部分が覆い隠されます。女性囚人を妊娠させた理由で、解雇され、党から追放されるか、降格されるケースもありますが、それは、女性に暴力を振るったためではなく、敵と性的関係を待ったことにより罰せられるのです。
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